左足、受傷
朝。周囲を散策しようと宿の周りを歩いていた。昨日彼女と別れた影響か、ぼうっと歩いていたら突然、左足首に強い衝撃を感じた。自分は歩道の端を歩いており、近くに犬は見かけていなかったはず。それなのに振り返ると、野良犬がいた。
インドやパキスタンは野良犬が多く、近づかないようにしているが、不意打ちで後ろから嚙まれたようだ。日本にはほぼ存在していないが、発展途上国では狂犬病のリスクが存在する。哺乳類に噛まれることで発症し、一度発症してしまうと治療法はなく死に至る。狂犬病にはワクチンが存在し、本来であれば暴露前に接種をすることが望ましいが、私は接種をしていなかった。
狂犬病について
ワクチンを接種していなかった人が犬に噛まれた場合、免疫を作るためのワクチン接種を噛まれた当日に開始し、その後複数回行う必要がある(https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/name47.html, https://www.who.int/publications/i/item/who-wer9316)。
狂犬病は一度発症してしまうと治療法がないが、潜伏期間が長いため、ウイルスが脳に到達する前に抗体を作ることで発症を大幅に減らすことができる。つまり、できるだけ早く抗体を作り出すことがカギであり、噛まれたら24時間以内をめどにワクチン接種が必要だ。
日本では発症例がかなり少なく、近年では海外から帰国した方の発症例が1970年、2006年、2020年に報告されている。一方で、動物咬傷で関西空港の検疫所を訪れた人は3年間で177人とまあまあ多い(https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/2607-related-articles/related-articles-516/11814-516r03.html)。関西に限ったデータでも3年間で177人が噛まれている現状なので海外で動物に噛まれる総数はかなり多いと思われ、その中で感染例は50年で3例と少なく、しっかりとした暴露後のワクチン接種が大切なのだろう。
対応1‐洗浄
焦りながら、まず宿に戻り創部を流水と石鹸で洗い流した。
対応2-暴露後ワクチン接種
まずは病院だ。クレジットカード付帯の海外旅行保険に入っていたので電話をしてみた。パキスタンで使える電話番号は持っておらず、日本の両親にラインで電話して、両親経由で保険会社に連絡を取ってもらった。
すると、近くの病院を探すとの返答。2時間待たされた後に、結果的に「本日当社から予約枠を確保できる医療機関はないため公立病院の救急外来に行ってほしい。そして、お金については今日は祝日のためキャッシュレス診療が対応できず事後請求となるので現金で400USD程度をその場で支払ってくれ。」との内容だった。だが、400USD分のパキスタンルピーは物価を考えると超高額で、私の持っていた現金は50USDと70000JPYだけだった。パキスタンではATMがほぼ使えずキャッシングはできない、両替商は祝日なのでやっていない、仮にやっていたとしても日本円の取り扱いはたぶんないという状況で詰んだといっていいだろう。ただ、命には代えられないということで、紹介された公立の病院(Lahore General Hospital, https://lgh.punjab.gov.pk/)の救急外来をダメもとで受診した。
パキスタンでは医療資源が乏しく、特に民間病院は混んでいて英語対応も厳しいという話をインターネットで見たが、今回受診した病院のInformation Counterで「犬に噛まれた、ワクチンを打ってほしい」と訴えるとなんとなく理解してくれたのか、まずは受付をするように言われた。名前とパスポートを見せるとすぐにA4の紙を渡してくれた。
英語を話せる担当者にこっちに来いと案内され、救急の医師の診察にたどり着いた。左足首を見せて、状況を説明し、狂犬病のワクチンの暴露後接種と破傷風トキソイドを接種してほしい旨を伝えると、話が通じた。救急外来は野戦病院のようにベッドが並んでおりかなり重症の方もいた。
その中の一つのベッドを与えられ、座って待った。少し経つと看護師が来てくれ、左と右に二か所の筋肉注射をされた(恐らく狂犬病ワクチンと破傷風トキソイド)。その後、案内人についていくと外科処置室に通され、傷を外科医に見せると消毒をしてくれた。初回治療はこれで終了で、今後は日本に帰国した後に複数回のワクチン追加接種が必要となる。ただ、お金が心配で、クレジットカードも恐らく使えない、現金の手持ちも少ない状況でどうすればいいのかと考えた。しかし、案内人の方に事情を伝えると、「大丈夫、あなたの幸せが私たちにとっての報酬だから、お金はいらない。」と笑顔で返してくれた。無料でワクチン接種を受けることができてしまった。
こんなことがあるのかと思った。恐らく病院のお金も裕福なわけではないし、パキスタンに貢献していない一介の旅行者に対して、ここまでのことができるのかと思った。完全な善意で人に接することができる人間としての大きさに心から感動し、感謝を述べ、病院を後にした。ホテルに着くと、再度傷口から血が出てきていたので、水で洗い流して痛み止めのロキソニンを飲んだ。
免疫グロブリン療法についてはカテゴリーⅢの傷に対してWHOで推奨されているが、今回は接種を受けられなかった。日本でも未承認であり、WHOのポジションペーパーでは必要な方の2%未満しかこの治療は受けられていないようだ。
ちなみに、今回パキスタンで接種されたワクチンは日本未承認のもので、Abhayrabという銘柄だった(https://www.indimmune.com/business-unit/human-health/vaccines/abhayrab/)。
その後、宿までトゥクトゥクで戻って休んだ。