インドパキスタン国境越え-ワガ国境

アムリトサルからワガ国境へ

インドとパキスタンは関係が良くないが、唯一アムリトサルからラホールを結ぶワガ国境は開いている。今回は陸路でインドパキスタン国境を越えることにした。まずはアムリトサルからアッタリーという国境の町まで向かう。

アッタリーまではタクシーかトゥクトゥクで向かうのが一般的だが、かなり高額なのと交渉が面倒だったのでバスを使って行くことにした。バスはアムリトサル中心地にあるバスターミナルから出ている。

バスターミナルはここ
バスターミナルの様子

ここで、アッタリー行きのバスが出ているので場所を周りの人に聞いて乗った。お金は数十ルピーでとても安い。インドのバスは基本的に車掌が乗っていて、走行中に乗客を回って行先を聞き、現金でお金を支払うシステムとなっている。アッタリーまでは1時間程度で到着する。インドでは女性や高齢者を優先する文化が徹底されており、女性が立っていたら席を立った方がいいかもしれない。

バス車内の様子
国境が近づくにつれ、風景は閑散としてくる

到着すると、車掌が声を掛けてくれて降りた。その場にトゥクトゥクが沢山いるので、値段の交渉をしてワガ国境(5km程度)まで連れて行ってもらった。大体200‐400ルピー程度と思われる。

ワガ国境での手続きについて

国境の建物

ワガ国境ではまずビザを見せ、出国をする。その後案内に従い無料のバスに乗り、国境の場所まで連れていかれる。

無料のバス
これが国境
パキスタン側へ入境。閑散としている

パスポートチェック(外にあり、テント形式)を受けて徒歩でボーダーを超えた。パキスタン→インドの方向で入国する人は沢山いたが、インド→パキスタンで入国する人は数人しかいなかった。パキスタンに入るとかなり古めの入国審査場があり、ビザを見せると特に何も聞かれず入国することが出来た。また、入国時にポリオのワクチンが必要という話やパキスタンでの携帯番号が必要との話をインターネットで見かけたが、私の時は何もなく終わった(そもそも外国人はパキスタンで電話番号を持つことができない)。

ワガ国境からラホールへ

入国後はすぐにワガ国境に放り出される。ここで両替の声を掛けられるのでUSDを使って両替を行う。USDしか受け付けてくれないので予め準備が必要だ。
問題となるのがワガ国境→ラホールの移動である。距離としては30kmほどあり、公共交通機関は存在しない。そのためラホールに行くためにはタクシーで行く、もしくはタクシーでJallo more(ここまで行けばトゥクトゥクを拾うことが出来る)まで行き市内までトゥクトゥク、もしくはタクシーでDera GujjranというMRTの駅まで行きそこからMRTの3択となる。

ワガ国境から一直線の道を通り、ラホールへ向かう。最も近いのがMRT Dera Gujjran駅

入国審査の施設を出ると基本的には声を掛けられるので、交渉となるが、4000Pkrで市内までを提示された。明らかに高いと感じたので、断り、ワガ国境の外で再度別のタクシードライバーに聞いてみると、3000Pkrと言われた。まだ高いと感じ、一旦断ると2500Pkrを提示された。インターネットでもっと安い価格で市内まで行った記事を見つけたので悔しく、直近の町まで7km歩いて行きトゥクトゥクで行こうと思い断ると、そんな奴は基本的にいないためか爆笑された。歩き始めると、爆笑しながら近くのMRTの駅まで1500Pkrを提示された(タクシー運転手曰く、日本人は1人あたり6000PKrでもOKする人がいるとのこと)。流石に爆笑されるほどあり得ない行動なのは怖かったので1500PkrでDera Gujran MRT stationまで向かってもらうことにした。確かに、道中は何もなく、ここを歩くのは厳しいだろうなと思った。ちなみに、相乗りになって知らないおじさんが一緒にタクシーに乗っていた。
今回は宿が街中の外れにあった関係で、MRTと市内のバスを乗り継いで向かう感じになった。MRTはアジアによくあるタイプで、券売機でトークンを買って乗る(https://web.olmrts.com.pk/)。市内バスはかなり難しく、そもそも路線図がよくわからないのでGoogle mapの言う通りにバスに乗り、車掌さんに話して降りる場所までの費用を払う(あまり英語は通じない)というシステムとなっている。何とか周囲の人に助けてもらいながら目当てのバス停で降りた。パキスタンの人たちはとても優しく、困っている人を見つけるととにかく声を掛けて助けてくれる。そんな人たちのおかげで無事に宿に到着することが出来た。
パキスタンの食事はとてもおいしく、基本はカレー味なのだが肉の煮込みやチャパティ、米をレストランで頂いた。

移動で疲れたので、ホテルで休んだ。休んでいると8年来の彼女から連絡があり、別れたいという話をされた。8年の月日を感じながら、ただ突然の話に断ることができず、はい、と返した。私は無になった。

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